Month: July 2017

blog「増えるワカメは本当に増えているのか。」

つづき

教会に送りつけたCDに封入した手紙には「クオラ!聞け!世界が終わる前に!」的な、なぜか挑戦的な文面が英語で綴られていたので困惑させてしまったのかもしれない。

一晩中うなされながら、翌日「スマン。」みたいな返事をようやくしたと思う。

境界をこじ開けたかった。こういう不幸な出来事は往々にして起こるんだ。受け入れろてめえら!

並行して「根本 啓一郎」のソロ活動としてアコースティックギターでライブをしていた。

クラシック系の楽器(ピアノ、バイオリン、コントラバス、フルート、チェロ、アコーディオンなど)とよくやったので楽譜で曲をどう弾くかを書かなければならなかった。

楽譜を見るのは子供の頃のピアノ教室以降初めてだった。
自分で書いた楽譜を見るのは人生初だ。

ロックバンドで寡黙を装った僕が突如として演奏を始め、メンバーが「やべえ、まただ!またきた!」と慌てて演奏に入水するスタイルで曲を完成させていったのと較べると、楽譜を持ってチョッチョッと一回だけ、前日にリハーサル、もしくは当日の会場リハーサルのみで本番突入という感じだったので、まことアカデミックな香りがしてクラクラしたのを憶えている。

まあ、話が下方へ向かってビロビロ伸びてきたので元に戻す。

ミックスという作業を通じて、

自分の中に新しい技術を身につけたかった。
別の側面から更に音楽を掘り下げたかった。

というわけです。

こう書くと、なんだかカッコいい感じがしてくるだろう?

君は間違っていないし、心配いらない。信じた道を行くべきだ。そもそも心配するから心配になるのだ。

ミックスを出来るようになれば、最悪、技術が結実せずとも今後のエンジニアとのやり取りの中でこちら側からもっと分かりやすい形を提示出来るようになる。

作業部屋に特大ビンテージアナログミキサーを導入。色々と回り道になるのは分かっていたが、自分好みの音質を狙うのとコスト削減を兼ね、かなりの量のケーブル制作(線材・プラグ・ハンダ選定・接続方法の最適化)をした。

作業中、コテを立てかけている台が許可なく倒れてカーペットが煙をあげ、灰色の煙を吸い込みながら声もあげずに表面が硬く黒く変質していく様を見て「死、それは死と呼ばれるものだ。だがそれは、形状の変化に過ぎないのである」と神の声がして思わず一曲出来そうになったが、そのパンドラは空けずに目の前の作業に没頭した。

「えらい」を五段階でレーティングすると、これは五つ星に値する。「大変えらい」というランクになる。

ちなみに目の前の作業とは、早期のコテ台の救出、カーペットへの水やり、影響範囲の目視などが含まれる。

また、音楽制作に最適化したPC自作、データのやり取りの為のサーバやストレージによる音質変化比較や、デジタル周りの高音質化の可能性を求め多くのことを実験した。

どうだ、くるっているだろう?

その時期、ヨーロッパ各地にドラゴンボールのように散らばった外国人の友人に会う為に、ヨーロッパ八か国(イギリス、スペイン、フランス、スイス、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、セルビア)をアコギを持ってわずか一カ月で回る旅もした。

どうかしているだろう?

飛行機は各国で予約している。何らかの理由で一つフライトが飛べば予定が飛ぶ。あっち都合で運航中止ということもあり得る。

これらについては、またブログで紹介出来たらと思っている。殆ど忘れてるかもしれないけど。

スペインでトイレが開かなくなった話とかあるからまた、それも今度。

まあ、長くなったけど出来た四曲はiTunesなどで販売する形になりそうなので、またお知らせします。

P.S.
現在、YouTubeなど用のMVをドイツに住むポルトガル人の友人が制作中。
ドイツで雨が降らないのでキューバで雨を撮影中とのこと。販売一曲目は雨がテーマ。

では。

blog「魚類からの進化」

根本 啓一郎です。
長らくご無沙汰しておりました。

ここ四年くらいは下界と遮断された地下室のようなところで音楽制作をしていました。

2013年頃から音楽ユニット「bias」を前身となるバンド時代のドラマー「岩崎 蔵」と共にスタートさせていました。

放っておけば一日に数曲出来る魚類のような僕ではあるが、殆ど新曲を作らないようにして四曲を実に四年かけて制作。

どうだ、いかれているだろう?はげしいだろう?

これは作詞・作曲・編曲、楽器演奏の他に、禁断の「ミックス」という魔物にまで手をつけたからである。

音をミックスするという意味で、楽器のレコーディング後に各楽器の音量、音の長さやタイミング、
左右のどちらから聴こえさせるかなどを調整をする。

空間の手触りをコントロールする時間芸術です。
その後、CD化する場合などは、マスタリングという最終工程を経て市場へ。

今まではミックスをエンジニア(専門の音処理のプロ)に一任しており、こうしたいという要望を激しい身振り手振り、踊り、詩歌の朗読、顔の表情の急激な変化、これじゃない感を出す為にバンド側から醸し出す沈鬱なムード等々をあの手この手でエンジニアに伝えて、納得いく感じになったらミックス終了という流れであった。

時間制約の中、イメージが上手く伝わらない場合もあり、思い通りの形に仕上げられるようになるには
レコーディングやミックスに精通する必要があると常々感じていた。

元々、僕はツアーなどをする三人編成のロックバンドのボーカルギター(作詞/作曲)だったので
それ以外に必要なものは、破天荒な人生経験くらい、それを絶やさぬように自律していた当時、
これは自分を制圧しないというタスクだったので(スーパーサイヤ人のまま日常を過ごすというタスク)、
ミックスという最大公約数に働きかける、冷静さを伴う作業とは両立不能であった。

バンドが2007年頃のワンマンライブ後に終了になったので、スタジオで猛獣の獰猛さと、その日の食うべき分を食った後、空腹時であれば獲物認定の憂き目を受ける蛋白質多めの草食動物が傍らに来た折に見せるあの眼差しで演奏しながら曲を仕上げる方法ではなく、淡泊質の分量がいささか多いやり方にはなるが、DAWというコンピューターメインのシステムで演奏データを送りあって楽曲を仕上げる形に移行した。

それは「ニジノダンガン」というユニットで、殆ど露出はしなかったが、
ある企画で沖縄でライブする権利を頂けたので、飛行機にウッドベースを詰め込んで、コザでライブをした。

また、一年で十七曲のCDを作って、イギリスの音楽制作会社のようなところに送った。返事が来た。
「私たちは教会の者で、教会の音楽を制作しています。いったいどうすれば」。

つづく